1898年の創設から128年。バスク人選手だけで戦い続けてきたクラブの歴史には、スペインサッカーそのものを形づくった名前が並びます。この記事では、その中から私が選ぶレジェンドイレブンを布陣図つきで紹介します。基準は「赤白の縦縞で何を残したか」。移籍後の実績は加点しません。
私が選ぶレジェンドイレブン
布陣は4-3-3にしました。1940年代の伝説の5トップから2人、80年代の連覇組から2人、現代からも2人。どの時代の獅子も一目で見渡せる11人です。
GK:ホセ・アンヘル・イリバル
「エル・チョポ(ポプラの木)」の愛称で知られる、クラブ史そのもののような守護神です。1962年から18シーズンにわたってゴールを守り、スペイン代表としてはEURO1964優勝の正GK。長身から繰り出す落ち着いたセービングは、スペインGKの模範とされ続けてきました。引退後もクラブに関わり続け、サン・マメスでは今も名前がコールされる存在です。ここは迷いのない選出です。
DF:ウルキアガ、ガライ、ゴイコエチェア、ララサバル
右のサンティ・ウルキアガは、1983-84のリーグとコパの二冠を含む80年代黄金期を支えたサイドバック。中央にはヘスス・ガライを置きます。1950年代のスペインで最高のセンターバックと評された、位置取りと予測で守るタイプの選手でした。相棒は80年代のアンドニ・ゴイコエチェア。荒々しい対人守備で恐れられた「ビルバオの闘犬」ですが、連覇の最終ラインを統率した実力は本物です。左のアイトール・ララサバルは90年代を通じて左サイドを守り続けたワンクラブマンで、派手さより継続で選びました。
MF:ゲレーロ、パニソ、ムニアイン
中盤の底に置いたホセ・ルイス・パニソは、1940年代の伝説の前線「イリオンド、ベナンシオ、サラ、パニソ、ガインサ」の頭脳役です。本来はインサイドフォワードですが、攻撃を組み立てる役割はそのまま現代の中盤に置き換えられます。右インサイドはフリエン・ゲレーロ。90年代に背番号8を背負い、ビッグクラブの誘いを断り続けてキャリアをすべてビルバオに捧げた、クラブ愛の象徴です。左インサイドはイケル・ムニアイン。16歳でデビューし、主将として2023-24のコパ・デル・レイ優勝で40年ぶりのタイトルを掲げました。ガバーラ(優勝パレード船)をもう一度浮かべた男を、外す理由がありません。
FW:エチェベリア、サラ、ガインサ
右のホセバ・エチェベリアは1995年から15年間サン・マメスを沸かせたウインガーで、最終シーズンを無給でプレーした逸話でも知られます。中央は説明不要のテルモ・サラ。リーガ通算251得点は2014年にメッシに抜かれるまで約60年間の歴代最多記録で、得点王6回、コパ・デル・レイでの通算得点は今なお破られていません。空中戦の強さから「スペインで最も危険な頭」と呼ばれた、クラブ史上最高のストライカーです。左はアグスティン「ピルー」ガインサ。1940〜50年代にコパを何度も制したドリブラーで、当時のビルバオの強さを最前線で体現しました。
選外にした顔ぶれ
最後まで悩んだのは大会名の由来になったラファエル・モレノ「ピチーチ」です。初代サン・マメスで最初のゴールを決めた1910年代の英雄ですが、映像も記録も限られる時代の選手なので、次点筆頭に置きました。ほかにも30代後半まで点を取り続けたアリツ・アドゥリス、リーガ251試合連続出場のイニャキ・ウィリアムズ、70〜80年代のエースだったダニ、500試合超のチェチュ・ロホ、後にバルセロナで大成したGKスビサレッタが候補に残りました。GKだけはイリバルとスビサレッタの2択でしたが、クラブでの年月と象徴性でイリバルを採りました。
このイレブンから見えるクラブの形
11人を並べて気づくのは、全員がレサマかバスクの土から出てきた選手だという当たり前の事実です。他のクラブのオールタイムXIなら各国のスターが並ぶところに、ビルバオは地元の名前だけで128年分のイレブンを組める。テルジッチ体制の現在地を測るときも、この一覧が物差しになります。ニコやハウレギサールがいつかこの11人に割って入れるのか。そういう視点で今季を見ていくのも、このクラブの楽しみ方のひとつです。